光に包まれる
光に包まれる
いい光に包まれた家というのは、家の中から1日がスタートします。
中からというのが重要。
普通、1日の始まり=朝は、東から昇った太陽の光が家の中に入ってきて、朝を感じるといった具合です。
つまり光は、外から中へ。
そんなの当たり前じゃないかと思うのですが、それが違うのです。
光について深く考えている家では、まったく逆のことがおこります。
家の中からポワーっと優しい光が外へ向かってあふれでていき、家全体が内側から膨らんでいくような、そんな力が感じられるのです。
『窓』の重要性
『窓』の重要性
近頃では『家』といえば合言葉のように「とにかく明るくしてください」と。
明るいのが悪いというわけでは決してありませんが、どの部屋にいても燦々と光が降り注ぐような家が、必ずしも快適であるとはいい切れないのです。
各々の部屋に合った光の量というものがあり、例えば、書斎や子供部屋で本を読んだり、勉強をしようと思えば、南側に大きく開いた窓は必要ありません。燦々と日が当たる場所で本を読んでも、たいして頭に入ってこないからです。やはり、本を読んだり、勉強をしたりするには、静かで落ち着いた一定した光が入ってくるような場所がいいのです。
私の部屋にも、東と南に大きな窓があり、朝は気持ちのよい光がさしこんできます。 学生時代、この気持ちのよい部屋で勉強をしようと思い、張り切って机に向かいました。ところが…心地いいはずの朝の光が、逆に眩しすぎて集中できなくなり、北側の暗い部屋に移動したという経験があります。このように、光は使う部屋、目的によって気持ちのよい空間を演出してくれたり、逆に居心地が悪くなったりと様々に変化していきます。
そのため、光や風を取りこむ『窓』のもつ意味合いはとても大きく、空間としての居心地のよさを決定的に左右する、重要な要因のひとつとなっています。
大きさ・位置・開閉の仕方など、どれをとっても思慮深々。外と内をどのようにつなげ、その部屋はどのような光を求め、どのような景色を見せたいと思っているのか。風を招きいれたいのか、それとも香しい匂いを求めているのか。
『窓ですべては完成する』といわれているほど、窓は建築にとって最重要ポイントなのです。すべてが明るく均質であると、奥行き感は失われ、のっぺりとした貧素な空間となってしまいます。暗い陰を宿す場所があるからこそ、明るい光に満ちた空間がいきてくる。
陰翳の美しさを知る
陰翳の美しさを知る
明るい場所を際立たせるための暗い『陰』の存在…。
古来より、日本の美しさは、陰翳の中にあるといわれてきました。明るい場所ではなく、陰の部分に美を見つける。
なんとも日本人らしい、奥ゆかしい感覚です。谷崎潤一郎さんもその著書『陰翳礼賛』で日本の陰翳の美しさを語っています。『美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。陰翳の作用を離れての美は存在しない』と。
淡い陰から漆黒の闇に至るまで、陰は密やかにその美しさを発展させてきました。この明暗の対比こそが、空間に奥行きを与え、厚みのあるいきいきとした空間を生みだすのです。陰から見る外の明るい世界は、とても綺麗に見えるものです。光の美しさ、ありがたさを再確認できる瞬間です。
こういう些細な自然の美しさにはたと気づき、心の中にそっとしまっておく。このようなかけがえのない瞬間が、生活の一部としてあってもいいのではないでしょうか。